ごみ箱をひっくり返すと、そこはワンダーランド
リビングであゆむと2人で過ごしていたときのこと、気づくとあゆむの姿が見えない。ついさっきまでカーペットの上で遊んでいたのに…。とそのとき、卓袱台の下から「うぇーん、うえーん(ガン、ガン)」と泣き声がした。
いた、いた、卓袱台の下にあゆむがいた。頭をガンガン卓袱台に打ち付けて、前後に動けない状態で泣いていた。うーん、わが息子ながら、なんてアホな姿。 「うぇーん、うえーん(はやくだしてよー!)」
かわいそうだけど、しばらく眺めていたい気もするなあ。 「うぇーん、うえーん(なにやってんだよー!)」
わかった、わかった、うん、すぐ出してやるぞ。そのまえに写真1枚だけ撮らせろな。 「ウギャー!!(バカー!はやく出せー!!)」
最近また、あゆむの行動範囲が少し広がってきている。今までリビングから出ることはなかったのに、パパを探して廊下に出てみたり、お料理中のママを追いかけてみたり。
4月に入って、コタツ布団を片付けたのも、あゆむの世界を広げるのに一役買った。これまでリビングに鎮座していたコタツ布 団が消えたことで、視界が一気に開け、コタツの向こう側にあったテレビの台や、書類の束が目に飛び込んでくるようになったのだ。
そこであゆむが目を付けたのが、ごみ箱。リビングに限らないが、ごみ箱を見つけると突進していって、何とか上辺部のふちに手をかけ、倒す。これが目下のところ、一番のお気に入りの遊びだ。寝室においてあるごみ箱も、朝一番に起きて何とか布団から置い出した後は、突進していって倒す。あとはあゆむのワンダーランドが展開する。
それにしても「ごみ箱=汚い」という、固定観念があるから、何でこの子はこんなに汚いものが好きなのだろうと、はじめは不思議に思ったものだ。でも、ちょっと考えてみたら、別に汚いものが好きなのではなく、ごみ箱を倒した後の状態が好きなのだ。
ちなみに広岡家のごみ箱の内容物は、紙ごみが中心で、あとはビニール袋など。一番多いのはティッシュペーパーかもしれない(季節によりますが…)。
ごみ箱を倒すと、何もないところに、瞬時にして大好きなティッシュや紙、ビニールが散乱した状態が出現する。どうやらこれが楽しくて仕方がないらしい。そういえばティッシュペーパ一の箱も大のお気に入りで、ほっとくと際限なくティッシュを引っ張り出している。これなんかも、無から有が出現する不思議さがあるのだろう。何しろいくらでも出てきますからねえ。
とそんなわけで、現在広岡家のリビング及び寝室には、ごみ箱が存在せず(押入れなどに隠してある)、ティッシュぺーパーの箱もテレビの上など、ちょっと高いところにおいてある。
倒したり、引っ張り出したり、何もないところに、大好きなモノたちが出現する不思議さ。あゆむから見た世界は、きっと驚きに満ち溢れているのだろう。 大きくなって、話ができるようになったら、どう感じていたのか聞いてみたい気もする。「何にもないところに、ステキなものが現れるのは、どんな気持ちだった?きっとワクワクしたろうね。
でもね、あゆむ、世の中で一番不思議なのは、何にもないところに、とびっきりステキなお前が生まれてきてくれたことなんだよ。無から有が生まれる。ホントにすごいことだと思わないか えっ、なに?バパとママの、2人の愛があったじゃないかって?失礼しました。ノロケが過ぎたようで…。
保育園のハンガーストライキ
翌年の4月、あゆむは保育園への入園を果たした。それと同時 に、自分のなんちゃって育休は終わり、妻ともども週5日のフ ルタイム勤務が始まった。
そして今日は、はじめてお迎えの日。4月に職場の 異動があって、まだ新しい環境になじんでいないにもかかわらず、午後から半休を取った。何しろはじめてのお迎え、妻からいろいろと指示はもらっているものの、気持ちも、体制もしっかり整える必要がある。
入園して最初の1週間は慣らし保育といって、昼過ぎで保育時間が終わる日が続く。今日は入園3日目なので、あゆむのお迎えは午後4時の予定である。午後1時には職場を出て、家に着いたのが午後2時。洗濯物を取り入れて、お風呂の掃除をして、夕飯の支度に取り掛かったところで、電話が鳴った。
「もしもし広岡さんのお宅ですか。保育園なんですが、あゆむくんが、ぜんぜんミルクを飲まなくて.....。ほかのお子さんが気に なるのかお昼寝もほとんどしていないので、少し早めに迎え にいらしていただけませんか?」 「はい、わかりました。すみません、ご迷惑おかけします。3時ごろに伺いますので」
1歳になるかならないかのあゆむを、他人の手にゆだねて両親ともにフルタイムで働くことについては、当然迷いはあった。と りわけ3歳児神話に見るように、幼児期の発育には母親の存 在が欠かせないそうで、自分たちの場合も「そんなに急がなくても」といわれたこともあった。
ましてやあゆむは障害児である。妻も自分も、母親は外で働くほうがいい、と以前から考えてはいたものの、あゆむの障害の程度によっては、どちらか一方が側にいてやる必要が生じる場合 も想定した。しかし幸か不幸か、手術後の経過はすこぶる順 調で、医者から再三注意を受けていた健康管理のほうもうまくいき、無事公立の保育園の入園が決まった。
もちろん、それでもあゆむが小学校に上がるまでは、どちらか片方がいつも一緒にいて発育を見守ってやるという選択もあった。あゆむの体や運動能力、知能の発達にはそのほうが良いのかもしれない。でもそれじゃあ、友達はできない。親がすべてを抱え込むのも大変だ。障害児だからこそ、早いうちから集団の中に入れたほうがいいのではないか。
とまあそんなわけで、あゆむは今週から、まったく知らない大人たちと、ぎゃあぎゃあ泣き喚くばかりの赤ん坊軍団(あゆむもその中の1人なのだが)の中に、突然放り込まれた。そして先ほどの電話によれば、そんなとんでもないことを勝手に決めた両親に対し、ハンガーストライキで抗議の意思表示をしているようなのである。
保育園に着き、ひよこ組の扉を開けると、騒然とした雰囲気の中で、保育士さんの膝にちょこんと収まったあゆむの姿があった。どうやら大泣きした後のようで、ほっぺにうっすら涙の乾いた跡が見える。
抱きかかえると、父親の顔がわかったのか、かすかな笑顔。
「ああ、やっと笑ってくれた。やっぱりパパがいいのねえ」 「どうもすみませんでした、ご迷惑おかけします」 「また明日ね、あゆくん。パパにいっぱいミルクもらうんだよ」
帰り道、ベビーカーに乗せて、最近お気に入りの「いないないばー」や、「こちょこちょこちょ」でご機嫌を取ると、ようやくいつもの笑顔が出た。まあ、保育園で調子が出ないのも、年齢 を考えれば当然のことか。何しろ31歳の自分が、今まさに新しい職場で、右往左往しているのだから・・・。
それにしても、家に帰ってきてからあげたミルクの、飲むこと、飲むこと。いつもの1.5倍をぺろりと完飲した。そうか、そうか、そんなにお父さんのミルクはおいしいか。かわいいやつよの一。おお、よしよし。
なんて、いい笑顔なんだ!ここまで必要とされるんじゃあ...。明日は、仕事を休んじゃおうかしら?
心臓の手術
あゆむの健康を語るとき、手術のことは避けて通れない。
生後一週間で、小児科の先生から「心臓に穴が開いている。半年以内に手術が必要」と告げられ、結局、4か月後の8月29日に手術をすることになる。
病名は心室中隔欠損。左心室(全身にきれいな血液を送り込む部屋)と右心室(全身から戻ってきた汚い血液を肺に送り込む部屋)の間の壁に穴が開き、血液が混ざってしまう病気だ。ダウン症の子に限らずわりとよくある病気で、小さな穴の場合は自然に閉じてしまうことも多いとか。あゆむの場合は穴の直径が1cm近くあり、パッチを当てて穴をふさぐ必要があった。
まず自分たちが取りかかったのが、情報収集。手当たり次第に友人知人に相談して、おおよそのあたりを付けた。それから病院ランキングも参考にした。
心臓の手術の場合、数がものをいう世界で、成否のカギは何例手術の経験があるかにかかってくる。また、大人の心臓病と、子ども(ほとんどが乳幼児)の心臓病ではかなり性質が異なるため、子どもの手術を年間どのくらいこなしているかが重要になってくる。
そして最後は、自分の目で確かめに行った。実際に病院に足を運び、スタッフの対応から、病棟の様子、入院のシステム等も直接話を聞いた。最終的に決めたのが、府中にある循環器専門のS病院。自分たちにとって、何よりあゆむにとって最良の選択だと判断したからだが、途中で揺れもした。手術に失敗は許されない。
執刀医にとっては何例もあるうちの一つにすぎなくとも、自分たちにとってはたった1人の子ども。どんなに小さなリスクでも、できうる限り排除し、考えられる最高の条件で手術に臨みたいと願った。
で、どんな手術を受けたかというと…、胸を開いて、心臓を止めて、血液を人工心肺に回して、その間に心臓も開いて、そして中隔に開いた穴をパッチ(布のようなもの)で塞ぐ、というもの。書いているだけでくらくらしてくるけれど、それを体重4㎏に満たない乳児に施すというのだから、とんでもない話だ。
ちょっとでも手元が狂って、大切な血管を傷つけたらどうする?人工心肺が止まっちゃって、脳に酸素が行かなくなったらどうする?院内でウイルスに感染して、それが心臓に回ったらどうする?輸血した血液がもとで、別の病気になったらどうする?看護師さんがミスって、点滴を間違えたらどうする?手術中に地震が来て、停電になったらどうする?どうする?どうする?…。
くだらない質問から、めんどくさい質問まで、主治医の先生はよく我慢して付合ってくれたと思う。どんなに質問しても不安が完全に解消されることはないけれど、ただ、これだけ一生懸命に考えてくれて、こんなに良くしてくれる人たちになら、任せてもいいかなと、最後は思えた。
そして手術の日を迎える。
その日はとってもいい天気で、妻の実家から義母、義姉が、自分の方は父親が付き添いに来てくれた。あゆむの手術は朝一番。八時過ぎには眠り薬を飲まされて、お気に入りの羊のぬいぐるみユキちゃんと一緒に、手術室の扉の向こうに消えていった。
それにしても、生まれて半年もたたないあゆむがこんなに大変な経験をしているのに、自分は大したこともしてやれない。せめてそばについていて、寂しさや不安を少しでも和らげてあげたいと思った。朝一番だったけれど、手術の待合室はほかにも付き添いの家族がいて、どの顔も祈るように真剣そのもの。自分たち家族も、少しばかり世間話もしたけれど、結局考えるのはあゆむのこと。考えれば考えるほど、悪い方に思考は向かう。
上手くいくのかなあ。失敗したらどうしよう。
上手くいかなかったらどうしよう。失敗したらどうしよう。
そうこうしているうちに、あっという間に手術は終わった。「広岡あゆむくんのご家族の方いらっしゃいますか」。若い看護師さんが手術室から出てきた。「では、お父さんとお母さんだけ、手術室にお入りください」。
ベットの上に、あゆむがいた。
全身から管が伸び、口は酸素チューブで塞がれ、手足を固定されて、あゆむがいた。なんて痛ましい…。でも、本当によく頑張ったね。その時の写真はないのだけれど、脳裏にしっかりと焼きついている。きっといつまでたっても、あゆむの痛ましい姿は鮮明な絵となって甦ってくるのだろう。そう、生後たった4か月しかたたないあゆむが、生きる力を証明して見せてくれた、その事実とともに。
生まれたときのこと
平成16年4月、あゆむは予定より1か月早く帝王切開で生まれた。
1918gの低体重児(いわゆる未熟児)で、生まれてすぐ保育器に入れられ、その後1か月を集中治療室で過ごした。予定日より1か月も早く生まれたのは、血流が悪くなり栄養が十分にいきわたらなくなったから。
で、生後1週間で、まず心臓の疾患について先生から話があった。病名は心室中隔欠損。心臓の壁に穴が開いていて、心雑音が聞こえる。穴が小さい場合は、放っておけばふさがることもあり、わりとよくある病気だそうだ。あゆむの場合は直径約1㎝の穴で、半年以内に手術が必要とのこと。ある程度は予想していたけれど、心臓とはショックだった。ただ、なんとかしなくちゃ、という気持ちの方が大きかった。さっそく知人に電話をかけまくって、小児の循環器科で信頼できる病院&執刀医を探した。今思うと、このときは妙に張り切っていたのかもしれない。
きつかったのは二番目の告知だ。
集中治療室から出て退院を間近に控えた4月の終わり、「両親そろってお越しください」という担当の先生の言葉に、一抹の不安を感じながら入った部屋で、我々夫婦の前におかれたのは23対の染色体が書かれた1枚の書類だった。
「21番目の染色体が3本あります。ダウン症です」。単刀直入に述べられたその言葉の後では、先生のどんな説明も頭に入らなかった。
「いわゆる知的障害ってやつ?」「ちゃんと育つのかなぁ…」「はじめての子なのに…」「なんでこの先生淡々としゃべってんだよ」「心臓に病気もあるんだし、いっそのこと…」「何かの間違いでしょ?」「みんなになんて伝えればいいんだ…」などなど、頭の中を様々な思いが駆け巡り、動揺していた。ふと隣を見れば、顔を強張らせ、不安げな妻がいた。
その後、気持ちが立ち直るまで、しばらく時間が必要だった。仕事中に突然、ぶわっとこみあげてきて涙が出てきたりして、落ち着くまでに2週間はかかった。その間何をしていたかというと、とにかくダウン症に関する本を読みまくった。20冊は読んだと思う。それともう一つ、知り合いにしゃべりまくった。親しい人には、ほとんど話した。不思議と隠そうとは思わなかった。どうせ分かることだからと、積極的に話した。
結果的にこれがよかった。話すことで気持ち的に楽になったのと、思わぬところから励ましの言葉をたくさんもらった。全部は紹介できないけれど、すごく嬉しかったのを2つだけ。
ひとつは役所の同期。「子どもは社会の子だよ。一緒に育てよう」。これには、気持ちが軽くなった。大変かもしれないけれど、助けてくれる人もたくさんいるんだなあ、と思えた。何気なさを装ってかけてくれた言葉で、それも嬉しかった。
もう一つは自分の父親から。「ダウン症の子は、本当にかわいいよ。素直で優しい子が多いよ」。これは、ダウン症をプラスに捉えてかけてもらった、はじめての言葉だった。障害はいいこともあるのか、と少し思えた。何より前向きなのがよかった。
ひとは、言葉によって助けられる。励ましてくれたり、悲しんでくれたり、褒めてくれたり、一緒に悩んでくれたり…。前向きも、後ろ向きも、誰かがそばにいてくれると感じられるだけで、どんなに心強いことか。
そういえば誰かが言っていた。「親は、子に育てられるんだ」って。