地上22cmの世界

時刻は、朝7時。場所は、うちの中で最も落ち着く個室空 間。先ほどからの努力のかい空しく、なかなかお通じがこない。

よっしゃ、もうひとふんばり! と、そのとき、扉の下から小さな手がひょっこり顔を出した。 トイレまで入ってくるとは、うるさいやつ。それにしても扉と床の間に、そんな隙間があったなんて…。

あゆむの視線の高さは、だいたい地上20から25cmで、われわれ大人が過ごしている世界とはかなり違う。

先日も、いつもはあまり使っていない書斎兼物置部屋でゴソゴソやっていたと思ったら、封筒の束を持って廊下に出てきた。どうやら戸棚の一番下の隙間に挟まっていたもののようなのだが、低い視線だからこそ見つかるものもあるのだなあと感心した。

ちなみに最近のお気に入りを並べてみると、コンセントから延びるコード(地上19cm)、電話線(同18cm)、ビデオデッキとその上においてあるリモコン(同35cm)、リビングにある料理の本(同3cm)、ベランダ(同マイナス18cm、一度落ちたことあり)である。彼の世界がだいたい想像できるかと思う。

もうひとつ、あゆむが気になってしょうがない場所が卓袱台だ。 リビングにおいてある卓袱台は高さが35cmあり、あゆむは全体を見渡すことはできない。彼の視線では、そこに何かが置いてあることは見えていて、それが食べ物をはじめとしたかなり興味深いものであることは知っている。

この間は、ちょっと目を話した隙に卓袱台の上のコップに手を伸ばし、何とかつかんで引き摺り下ろすことに成功した。中にはお茶が入っていて(幸いそれほど熱くはなかった)、あゆむは頭からかぶったのだけど、その得意そうな顔といったらなかった。そんなわけで、わが家の卓袱台では、危ないものはへりから離して置くことにしている。

卓袱台ついでに食事の話。あゆむが食卓に着く際に使っているのが、木で造った子ども用の小さな椅子。これ、療育センターの先生と相談して、なかなか座位が保てないあゆむ用に、知り合いに頼んで造ってもらったものだ。ちょうどお尻がすっぽり収まる幅になっていて、左右にぐらぐら揺れずに座っていられる。これのおかげで食事がずいぶんと楽しくなった。

最近では、右手につかんだバナナを左手に持ち替え、さらに右手に持ち替えなおして、ニギニギしている。かと思うと、つかんだバナナを思いっきり握りつぶし、指と指の間からニュルニュル出てきたものを口に運ぶ。それに飽きると両手を振り回し、そこらじゅうに投げ散らかす。とにかく食事中は片時も落ち着く暇がないのだが、本人はいたってご機嫌である。

両手が自由に使えるのが嬉しくてたまらないようにも、また、いつも下から覗き込んでいる卓袱台を、上から見下ろせて楽しいようにも見える。視線が変わると、世界が変わるわけですね。

と、そんなわけで、自分も廊下に寝ころんでみる。 ヒンヤリしていて気持ちいい。 ごろん、仰向け、ごろん、うつ伏せ、ちょっと硬いのは難点だけど、夏は冷たくていいかも。

そのままほふく前進してみる。あゆむの様に素早くは動けない。 廊下からリビングへ移動。なるほど、こんなふうに見えているのか。たしかに卓袱台の上はよくわからない。ベランダに向かう。途中、ビデオの横を通過。おやスイッチが入れっぱなしだ、消しておこう。窓のところまで来た。鍵が閉まっていて開かない。当然、鍵には手が届かない…。

いつも生活している部屋が、こんなにも違って見えるのは、ある意味で驚き。地上22センチの世界。この視点からしか見えてこないものがあるんですね。一番よく見えたのは…、やっぱホコリかなあ。もっと頻繁に掃除したほうがよさそうだな。今回も反省して終わります。f:id:DownssyndromePapa:20201029074243j:plain