生まれたときのこと

 

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著者とあゆむ


平成16年4月、あゆむは予定より1か月早く帝王切開で生まれた。

1918gの低体重児(いわゆる未熟児)で、生まれてすぐ保育器に入れられ、その後1か月を集中治療室で過ごした。予定日より1か月も早く生まれたのは、血流が悪くなり栄養が十分にいきわたらなくなったから。

で、生後1週間で、まず心臓の疾患について先生から話があった。病名は心室中隔欠損。心臓の壁に穴が開いていて、心雑音が聞こえる。穴が小さい場合は、放っておけばふさがることもあり、わりとよくある病気だそうだ。あゆむの場合は直径約1㎝の穴で、半年以内に手術が必要とのこと。ある程度は予想していたけれど、心臓とはショックだった。ただ、なんとかしなくちゃ、という気持ちの方が大きかった。さっそく知人に電話をかけまくって、小児の循環器科で信頼できる病院&執刀医を探した。今思うと、このときは妙に張り切っていたのかもしれない。

きつかったのは二番目の告知だ。

集中治療室から出て退院を間近に控えた4月の終わり、「両親そろってお越しください」という担当の先生の言葉に、一抹の不安を感じながら入った部屋で、我々夫婦の前におかれたのは23対の染色体が書かれた1枚の書類だった。

「21番目の染色体が3本あります。ダウン症です」。単刀直入に述べられたその言葉の後では、先生のどんな説明も頭に入らなかった。

 「いわゆる知的障害ってやつ?」「ちゃんと育つのかなぁ…」「はじめての子なのに…」「なんでこの先生淡々としゃべってんだよ」「心臓に病気もあるんだし、いっそのこと…」「何かの間違いでしょ?」「みんなになんて伝えればいいんだ…」などなど、頭の中を様々な思いが駆け巡り、動揺していた。ふと隣を見れば、顔を強張らせ、不安げな妻がいた。

 その後、気持ちが立ち直るまで、しばらく時間が必要だった。仕事中に突然、ぶわっとこみあげてきて涙が出てきたりして、落ち着くまでに2週間はかかった。その間何をしていたかというと、とにかくダウン症に関する本を読みまくった。20冊は読んだと思う。それともう一つ、知り合いにしゃべりまくった。親しい人には、ほとんど話した。不思議と隠そうとは思わなかった。どうせ分かることだからと、積極的に話した。

 結果的にこれがよかった。話すことで気持ち的に楽になったのと、思わぬところから励ましの言葉をたくさんもらった。全部は紹介できないけれど、すごく嬉しかったのを2つだけ。

 ひとつは役所の同期。「子どもは社会の子だよ。一緒に育てよう」。これには、気持ちが軽くなった。大変かもしれないけれど、助けてくれる人もたくさんいるんだなあ、と思えた。何気なさを装ってかけてくれた言葉で、それも嬉しかった。

 もう一つは自分の父親から。「ダウン症の子は、本当にかわいいよ。素直で優しい子が多いよ」。これは、ダウン症をプラスに捉えてかけてもらった、はじめての言葉だった。障害はいいこともあるのか、と少し思えた。何より前向きなのがよかった。

 

 ひとは、言葉によって助けられる。励ましてくれたり、悲しんでくれたり、褒めてくれたり、一緒に悩んでくれたり…。前向きも、後ろ向きも、誰かがそばにいてくれると感じられるだけで、どんなに心強いことか。

 そういえば誰かが言っていた。「親は、子に育てられるんだ」って。